筋肉よし知識よりあっかんべー
こんにちは、いかせんべいです。
きょうは、変な天気でした。天気のご機嫌斜め。
暦の上では秋なのに暑い、台風も来るみたいもーその先のことがわかるのは神だけ。
嫌だ。僕は嫌だ。
金足農業高校惜しくも2位100年ぶりに甲子園優勝なるかだったのに準優勝でした。
ゆっくり休んでください。
とくに気持ちはないです。
見たので。
最近は、何もいいことがなくて、楽しいことを探して生きてます。
仕事も探し中だし(かなり応募して面接まで行っても採用の結果は未だ0社、精神的にも削られるし、体力的にも大変、アメリカだと雇用形態は自由に選べるみたい日本もそうなって欲しいデメリットもあるのも確か)、
自分の意見を伝えて相手にどう思われても別に、死ぬわけじゃないしただ自分が散っていくだけ生きていくのに必要なものが無くなるではないし自分がどう変わるかが大事なのではないかと)、
好きな人に連絡先を書いて渡したりしてみても何も起きず(自分が働いている所にいる好みの子、手紙は書いて机に貼っておいて見たのか見てないのか分からないのが辛い、そのことばかり考えちゃう、君のことが一番好きだと伝えられない方が嫌だ。
見てくれたのかわからないまま時間だけが過ぎて行ってしまう、でもそういうのもいいかなと感じている。でもぶっちゃけ彼女が欲しい、付き合ってみたい、女の人と一緒に出掛けたり、ドライブとか楽しそー
(まだ手も握ったことないし、それから先なんて何も知らない、そりゃ興味はある。)
カップルでイチャいつてるのをいいなと感じます。イライラもします。自分にはないものに劣等感を抱くのは人が生まれ持っているものなのでそう思うことこそが人としてのアレです。たぶん?
それは、みんなが幸せに生きてるかはそうじゃないかもです。
でもわからないけど、必死に生きてます。
いつ死ぬかはわかりません、もう時代なのです。
100年時代とかなんとか言ってますが、普通に生きてもわからないのに、災害や震災や強盗や車のあおり運転
(ほんとにやめてもらいたい、最悪の場合、殺人刑も適用されるんだとか)や宗教など何が起きるかわからないから、なにが起きてもいいもいいように、
少しの変化を察知できだらいいともって思ったけど出来ないと思ったり、考えてしまう癖があります。
新しいことに挑戦したり、興味のあることをもっと知りたいことを、探求して行きたい時は、何も、変わることを恐れるよりも、
変わらない事のほうがもっと怖いことなんだと知った。
知識は何ものにも勝る財産だと考える。知っていて損はないし、生きていくうえで、
助けになるかもしれないし、ならないかもしれない。
何をやるかは、ひとそれぞれで違うし、個性も趣味も発想も閃きもちがうし、
人種差別なんてクソくらえだと常に思うとイライラする。
世界に共通する言葉がないとしても伝えることに意味があるのだと考える。
その意思があるか無いかだと。
どんなに下手でもめちゃくちゃイケメンでも、一緒ではないけど(対等)だと考える。
何を見切り、どこへ進むべきか悩んでも、考えてもわからないけど、そうしないと目印みたいのがないと、ここに進もうか、あっちに行こうとかぐちゃぐちゃにになっちゃう。個人でも法人でもの知識の一つとしてそんな事もあるのだと。
たくさんいて、いいじゃないかなあ、いないよりはいいだろう?
なんでも(小さなことでも楽しんだり悲しんだり、大きさは関係ないと思う個人差アリ自分の中の心の感動として生きていきたい。)
幸せと小さな喜びを噛みしめて生きていきたい、悲しいときは、悲しい
ずっと涙で濡れて、朝になってしまう日が来るかもで、晴れない日はないと願いたい。
おわり
ここまで読んでくださってありがとうございました。
バイバイ。